
ものが溢れている
いいものも悪いものも
その中で私は”もの”を売っている
「ものを売ること」が目的ではないのだが
ものを売って
お金を得ていることは事実
いいものを売る
それなら良い と
自分の中で一度結論を出している

ミニマリスト
一時期
私はミニマリストであった
(過去の記事①2021年「minimalist」 ②2022年「ミニマリストを終える」 ③2023年「必要なものを必要な分だけ」 ④2025年「何もない机」」
大分早めにミニマリストは終えていたみたいw)
本を読む中で
そして
の流れで
を読んだ
元々整理整頓が好きだったのもあるから
ミニマリスト
ものは少ない方が豊かである
というのは
すごく響いた
そして極端にものを減らしていった
まずは服
メルカリ出品、売れなかったものは
古着屋さんへ
と
ものを減らしていき
最後は
捨てていった
気に入ったものを残す
ものを減らすのは
一種の快楽であった
もちろん気に入ったものは残す(これがあとあと効いてくる)
そして情報も狭めていった
テレビは元々あまり見ていなかったので
キッパリ見なくなる(今もほとんど見ないなぁ)
新聞はたまに読む
基本は本
さてある程度ものは少なくなったけど
自分自身はどう感じていたのだろうか
捨てたり、減らしている行為の時間は
良かったと思う
ただ、好きだったこと
服があまり好きではなくなっていたことに気づいた
ものを減らすことは手段であって
目的ではないことに
ものを捨ててから気づいた
気に入ったものを残す
これを本当にしておいて良かった
(友人はもっと極端に減らしていたwあそこまではやれない・・・)
そのものはなかったらなかったなのだけど
残ったから
また使うことができる
そうして私は
ものは少ない方が豊か
ということは肯定しつつ
気に入ったものを数少なく持ち
それを長く使うことができたらいいなぁ
と
緩めていった

そして、満ち足りる
そして
図書館では借りれない本を買うことから始まり
古道具、器、服
少しずつ
気に入った物を買うようになった
気に入ったものなら良い
これが
また沢山のものを増やす原因となる
だが、限度があった
満ち足りたのだ
これで十分 となる
靴、服、時計
器も大分揃って
当分は必要ない
花器、飾り等
用途があるようでないものは
増えていくが
それでも少しずつだ
多分、これでいいんだろうなぁと思う
もし、多いと思ったら
また手放していく
本当に気に入ったものを残して
今も
高校生から履いている靴
服がある
器も長い付き合いになってきた
5-10年 と

良いものとの出会い
良いものは出会いである
その出会いのときに
どうするのか
お財布の事情もある
毎回私は問いかける
それは必要か
そして
ここで買わなかったら後悔しないか
と
そうやって選んでいる
大切なのは
いいものであること
そして
その出会いがあることだ
良いものは
自分で選ぶことが大切だと思う
何が良いのかは自分で決めること
それは売り物でなくても
道路にある石でも同じ
自ら選ぶということだ
そしてその上で
どうするのか
手に入れるのか、入れないのか
人間、死ぬ時には
何も持っていけない
それでも
そのモノに惹かれて
感動したり、救われたりすることもある
良いモノなら良いんじゃないかな
と
モノを売る立場になって
再度思った
良いものってなんだろうね
今日も色々なモノをみる
景色もそう
毎日が出会いだ
今日もありがとう
あの壺どうしようかなぁ
好きな記事
なぜミニマリストがマツダの車に惹かれるのか?
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